大胡田一知氏

華ということ

 ご本人から、欠点でも長所でも自由に気儘に書いてほしいと言われ、私は即刻承諾したのだったが、今その気になって用紙にむかうと、困惑がいちじるしい。
 どちらかと言うと、私は悪趣味で、人をあげつらうように書くたちなのだが、それが彼についてはなかなか思うようにいかないのだった。
 それほど長いつきあいもなかったし、況して私は音楽の世界はまったくの不案内者だから、彼とはかなりの距離をもって見てきたようにも思う。偶に深夜、彼の店へ顔を出して側迷惑な客として接してもらってきた程度のつきあいだった。つまり彼の前での私は、いつも酔客だった。
 ところがことしの夏、千葉県が姉妹提携している米国ウイスコンシン州へ、文化交流の使節団が派遣されることになり、その結団式の席上で、はからずも素面で私は彼と出会ったのだった。
 勿論彼はコンテンポラリーな演奏家として選ばれ、トリオで参加していた。私は伝統の文化ということで茶華道のメンバーを引率する役だった。
 ついでに記しておくと、一団には他に日舞や総州太鼓、クラシックの若い女性もいて、県職員を加えると総勢40余名をかぞえた。
 この使節団というのは、ウイスコンシンステートフェアに出演し、民間レベルで州民との友好親善を深め、千葉県の芸術文化を広く紹介するのが目的だったから、フェア出演後も継続して、州内の3都市をまわった。
 行った先々で、公演や展示を開催し、州のボランティア団体のホームステイで、アメリカ人の家庭団欒というものを体験したのだった。
 一行は12日間の日程だったが、大原君たちはさらにニューヨークの方へ演奏の足をのばしたと聞く。
 10日間余りを一緒に旅したわけだ。この旅のおかげで、私はやっとのこと、大原保人君との距離を少々は縮められたのではないか。そういう意味では貴重な旅だった。
 彼は、ウイスコンシンにいても千葉にいても、まったく変わりなく見える。いつも平常心でいられるようだ。私の目に映る彼は、まず沈着、辛抱強くて努力家で明朗快活、人にも親切、そして向上心をもちつづけ、自己を見失うことがない。
 その具体例は、また次の機会としたいが、まさに、私とは対極の人物である。
 ウイスコンシン州での演奏は数々を聴いてきたのだが、どこでも彼は万雷の拍手に包まれた。気分よさそうに、楽しげに、酔うように演奏する彼の姿は、美しくさえあった。
 私は彼の昔日については全然知るところがないが、今の彼の姿は、いくつかの修羅場を潜ってきたからこその「華」であろうと、私は思っている。

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